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『俺は用心棒』(おれはようじんぼう)は、1950年(昭和25年)製作・公開、伊丹万作脚本、稲垣浩監督による日本の長篇劇映画である〔''俺は用心棒'' 、日本映画データベース、2013年1月23日閲覧。〕〔''俺は用心棒''、 日本映画情報システム、文化庁、2013年1月23日閲覧。〕〔''俺は用心棒''、 映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年1月23日閲覧。〕〔''俺は用心棒'' 、KINENOTE、2013年1月23日閲覧。〕。シナリオ完成時の原題は『昔を今に』(むかしをいまに)〔米田, p.325.〕、伊丹の没後に初めて映画化された作品である〔〔。 == 略歴・概要 == 本作のシナリオは、ロード・ダンセイニの小品『もしも』を下敷きに伊丹万作(1900年 - 1946年)が『昔を今に』のタイトルで執筆したものであるとされる〔冨士田, p.254-255.〕。伊丹は、本作の映画化をみることなく1946年(昭和21年)9月21日に亡くなったが、同年に大橋恭彦が創刊した映画雑誌『映畫藝術』(星林社)が、翌1947年(昭和22年)1月発行の第2巻第1号で「伊丹万作追悼」を特集し、伊丹の遺稿、伊藤大輔、池内岳彦(のちの伊丹十三)の文章とともに、本作シナリオを『昔を今に』のタイトルで掲載した〔星林社, p.1.(目次)〕。伊丹がサイレント映画用脚本『若しもあの時』として書いたものを稲垣浩がトーキー用に再構成したものである、という説もある〔。いずれにしても、脚本の雑誌掲載後に本作は映画化された〔〔〔〔〔、2013年1月20日閲覧。〕。 伊丹の生前実現しなかった作品にはほかに、『手をつなぐ子等』(監督稲垣浩、1948年)、『恋風五十三次』(シナリオ原題『東海道膝栗毛』、監督中川信夫、1952年)、『不惜身命』(原作山本有三、1942年執筆、未映画化)、『木綿太平記』(原作恩田木工、1943年執筆、同)がある〔〔伊丹, p.327.〕。本作は、伊丹の没後に映画化された作品としては『手をつなぐ子等』に次ぐ2作目であり、脚本専念後に映画化された作品としては生前の『無法松の一生』(監督稲垣浩、1943年)を含めて3作目である〔。 本作を製作した東横映画、配給した東京映画配給はいずれも現在の東映の前身であり、本作の製作・公開の翌年である1951年(昭和26年))4月1日に合併し、前者は東映京都撮影所、後者は東映の営業部門となった。 本作公開当時のキャッチコピーは、 :''伊丹万作遺稿の映画化!'' :''口も八丁 手も八丁 俺は天下の豪傑だ!'' であった。 2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、本作の上映用プリントを所蔵していない〔所蔵映画フィルム検索システム 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月23日閲覧。〕。ビデオグラムについてはかつて発売された形跡がなく、東映チャンネルは、本作を放映した形跡がない〔東映チャンネル 、公式ウェブサイト、2013年1月20日閲覧。〕。事実上、観ることの不可能な作品である。本作の脚本については、1961年(昭和36年)11月15日に発行された『伊丹万作全集 第3巻』(筑摩書房)には収録されていない〔伊丹, p.1.(目次)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「俺は用心棒 (映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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